常念寺
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  寺 号  常 念 寺


山 号  稲 荷 山


所在地  神奈川県川崎市麻生区栗木二〇三番地 小田急多摩線栗平駅下車徒歩五分

栗平駅より亀井谷戸を下り常念寺の前を通って広袴へ向かう道は、
その昔鎌倉時代の悲劇の武将源義経が
この土地の有力な家来であった亀井六郎など従えて
亀井坂を下り鎌倉へ上ったと伝えられる古道である。(広袴小史)


宗 派  浄土真宗本願寺派(お西)


宗 祖  見真大師親鸞聖人


本 山  京都西本願寺(京都市下京区堀川通花屋町下ル本願寺門前町)


御本尊  木造阿弥陀如来立像 江戸時代中期の作

像高 四二・六㎝ 寄木造・玉眼・漆箔


本 堂  七間四面 木造平屋建(昭和三七年茅葺屋根を瓦屋根に修復。
平成十二年銅板葺に修復)
戦国時代の永禄元年に現在地に創建され、江戸時代中期に火災の為焼失し
明和年間(一七六四~一七七一)に再建されたものである。
江戸時代建立の寺院建築物は戦災等の為、川崎市内には数少なく
当寺のように典型的な江戸時代の浄土真宗寺院の様式を残しているものは
珍しく貴重なものと言われている。
七間四面の本堂内部は、内陣・余間・外陣の三室からなり、
内陣と外陣の間には、矢来(木棚の仕切)を置き中陣と称し
江戸時代代独特の様式である。
平成十二年、大規模な修復工事を行う。


仏 具 等  明和年間に再建された後作られたものが多く殆どが江戸時代のものである。
代表的なものの年代は次の通り

(一)蝋燭立 明和八年 (一七七一) 一対
寛政三年 (一七九一) 一基

(二)花 瓶 寛政二年 (一七九〇) 一対

(三)香 爐 明和八年 (一七七一) 一基

(四)輪 燈 文化一三年 (一八一六) 一対

(五)金灯籠 天保七年 (一八三六) 一対

(六)大 鏧 弘化三年 (一八四六) 一基

(七)手水盤 文化五年 (一八〇八) 一基


地蔵堂  本堂正面右手に六体の地蔵仏が並び「いぼとり地蔵」の名で親しまれている。
地蔵仏の年代は次の通り

(一)元禄一〇年 (一六九七) 一体

(二)宝永三年 (一七〇六) 一体

(三)享保二年 (一七一七) 一体

(四)享保二〇年 (一七三五) 一体

他の二体は不明


由緒・沿革  

  浄土真宗の開祖親鸞聖人の弟子で有名な二十四輩の一人である乗念又は成然(常念と書 いた署名もある)が西暦一二〇〇年代に開山したと伝えられ寺暦七〇〇年余といわれる。
「町田市史」(昭和四九年)は、町田市金井町入谷戸の阿弥陀堂について「川崎市栗木常念寺末、本山常念寺はもとこの地にあった」と記述している。
栗木の古老の話では、 「永禄年間に栗木村のお大尽が金井村の阿弥陀堂を栗木に移して本堂を建てた」と言う。
また親鸞聖人が常念坊を伴ってこの金井村の地に錫をとどめたとの伝承もある。
「栗木村 地誌」(明治二一年)によると永禄元年(一五五八)九月に僧福受[ 文禄元年(一五九二) 七月没]が開基・創建したとあり現在地で約四四〇年を経ており現住職(釋道仁)は福 受法師を初代として第十九代目にあたる。
当寺の南方に和合院という当山末寺の修行道 場があったが現在は廃寺となっている。


会 館  平成二年に門徒会館「栗平会館」、平成五年に「第二栗平会館」が完成。
 
浄土真宗本願寺派 常念寺
〒215-0033 川崎市麻生区栗木203
TEL 044-988-0205(代)
FAX 044-988-7135
 
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